夢の島の歴史

夢の島の歴史を辿ると、実は第二次世界大戦前にまで遡ります。1938年東京湾に飛行場を作るべく埋め立てが始まり、実はこれが夢の島の始まりでした。その飛行場の名前は「東京市飛行場」。総面積約251ヘクタールにも及ぶ、当時としては世界最大級の飛行場を作る埋め立て計画だったのです。しかしその前年に始まった日中戦争の影響で計画は頓挫。太平洋戦争が始まる1941年に飛行場計画は中止へと追い込まれたのです。

戦後の「ごみ問題」解決のために

戦後日本が復興し、高度経済成長期に入った1950年代。経済活動の活発化に伴い、大きな問題が発生することになりました。それは「ごみ問題」です。そして東京都内で急増したごみ問題の対応のために、東京市飛行場予定地だった所をごみ処理場とすべく1957年埋め立てが再び始まったのでした。しかしこの埋立地は「夢の島」にはほど遠い場所で、大きな問題になります。当初清掃工場の建設が追い付かず、ごみを焼却することなくそのまま埋め立てていたのですが、当然悪臭や害虫が蔓延し、周辺住民の生活にまで影響するようになりました。それだけではなく、生ごみから出るガスにより、度々自然火災まで発生する有様で、この時期ここは「夢の島」ならず、「ハエの天国」とまで呼ばれていたのです。現在の緑多き夢の島の姿からはとても想像できません。

本当の「夢の島」へ

警察、消防、そして自衛隊にまで協力を要請し、そして行われた大規模な消毒作戦の結果、徐々に夢の島の環境は改善されて行きました。そして埋め立ては1966年に終了。その後着々と埋め立て地は整備が行われていき、1978年には東京都立夢の島公園が開園。敷地面積約43ヘクタールにも及ぶ大規模な公園で、かつて上野動物園のコアラを飼育するために植えた日本最大のユーカリ林もあります。

また2004年にはそれまであった東京都夢の島総合体育館の跡地に、東京スポーツ文化館、通称「BumB(ブンブ)」が開館し、スポーツ施設としてだけではなく、文化、学習、そして宿泊施設も備えた総合施設として近隣住民に活用されています。

更にここには、ビキニ環礁でアメリカ軍の水素爆弾実験により被爆したあの第五福竜丸が展示されている東京都立第五福竜丸展示館もあり、過去に起きた事件を風化させないために、人々に問題提起の場を提供し続けているのです。

このようにスポーツ振興の場、文化振興の場、そして憩いの場として、市民に愛される場所となった夢の島は、現在本当の意味での「夢の島」になったのです。都心からのアクセスも容易であり、多くの楽しみが待つ夢の島。今度の週末は是非ご家族で遊びに出向いてみてはいかがでしょうか。